日本帝国の申し子—高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源 1876-1945
商品情報
日本帝国の申し子—高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源 1876-1945
- 著:カーター・J・エッカート
- 翻訳:小谷 まさ代
製造・発売:草思社
形態:単行本
総ページ数:454
発売日:2004-01-25
[ 和書 ]
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「漢江(ハンガン)の奇跡」――韓国が解放後30年間に果した驚異的な経済成長を、世界の学者たちはこう表現した。この奇跡をもたらしたものは何であったか? 本書は、1970年代に「驚嘆する劇的な変化」を目の当りにしたアメリカ人研究者が「その現象の歴史的背景」を、一切の予断と偏見を排して解明した「韓国社会経済史」である。韓国の一般的学説は資本主義の「萌芽(メンガ)」を李朝時代に求める。17世紀に芽生えた朝鮮の資本主義は、十分に成長する前に外国の圧力にさらされ、そのため日本の経済進出に耐えきれず、1910年の日韓併合による植民地化によって、1945年まで大きく抑制されていた、というのが、朝鮮半島の南北を問わず、堅固に定着した学説である。この説は「戦後史観」に立つ日本の歴史学者にも堅く信じられている。しかし、本書は「彼らの研究においては、論理より日本の行為を弾劾することで得られる感情的満足のほうが重要視されているようだ」と直言してはばからない。
1969年に平和部隊の一員として韓国に来た著者は、朴政権下で絶頂期を迎えた近代化推進の姿に驚嘆し、その歴史的背景に興味を抱く。そして東アジアと朝鮮半島の歴史研究に没入していくのだが、その結果知ったのは「資本主義の萌芽が李朝にあったという事実が重要となるのは、偏狭なナショナリズムを正当化するときだけである」ということだった。
いわゆる「萌芽派」の歴史家たちが用いている証拠はむしろ、彼らが無視する「空白期」、すなわち1867年の「江華条約(日朝修好条約)」による開国から1945年の解放にいたる期間こそ、社会経済史家が本格的に論じるべき時代であることを教えていた。そこで、著者が研究の焦点を向けたのは、韓国資本主義の象徴的存在である「京城(キョンソン)紡織株式会社=京紡(キョンバン)」とその創業一族「高敞(コチャン)の金一族」の歴史である。それは、「京紡は朝鮮史上初の朝鮮資本(かつ朝鮮人経営)による大規模な企業」であり、そこに「人間的なレベルでの韓国資本主義の起源と初期の発展を探ることができる」と考えたからに他ならない。そして著者は、同社に残された豊富な記録文書を精査し、日本が「圧政者であると同時に社会経済の変化の推進者」だったことを立証していくのである。(伊藤延司)
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カスタマーレビュー
要は、朝鮮半島にも政商がいたというだけで、日本の財閥の嚆矢と変わらない。
李氏朝鮮晩年の貴族:両班を中心とした物が、日本の植民地支配に組み込まれ、搾取の道具と化したことは、ブルース、カンミングス「現代朝鮮の歴史」明石書店刊に書かれていますが、典型的な植民地統治で、日本が自慢するような内容ではないと思いますが、資本主義的発展=近代化がすなわち個人の幸福でないことぐらい、今の日本の現状見ればわかりそうなものですが。
資本主義のゆがみが、日本も韓国も襲っているのだよ!近代化以前の北朝鮮は例外だが。(121人中、13人の方が「このレビューは参考になった」と投票しています。)
評価:
韓国資本主義の発展、そしてオルテガの呼応。
本書は、別に韓国を擁護するとか日本を擁護するとかという目的で書かれたわけではない。“本書は韓国資本主義の発展に関する研究書(P3)”である。
著者は韓国人でも日本人でも無く、米国人である。つまり日韓どちらかの国民感情に左右されず、言わば第三者が書いた本だということだろう。
本書の20ページではオルテガが引用されている。
“人間は、みずからに起こったこと、みずからがなしたことから成る。他のことが起こりえたかもしれず、他のことをなしえたかもしれない。しかし、まさにみずからに起こり、みずからがなしたことが、仮借なき軌跡を形成する経験となる。人間は、すべての財を背に負う放浪者のように、あらゆる経験を背負ってゆくのである。......ようするに、人間は本性を持たない。人間が持つものは......歴史である(オルテガ)”
そして本書の「結論 植民地時代の遺産」において、著者は“歴史はやはり圧倒的勝利を収めた。つまり、過去は現在のなかに能動的に作用しているのである(P334)”とある。
察するに、著者は韓国資本主義の発展を調べていくうちに、オルテガの言葉に呼応した、という事なのだろう。
本書は私にとっては難しいと感じたのだが、歴史考察を深めることができる本だと思った。(39人中、18人の方が「このレビューは参考になった」と投票しています。)
評価:
地球はひとつ
仲良くしろよ!(101人中、3人の方が「このレビューは参考になった」と投票しています。)
評価:
何やらありがたく読まれているようだが
米国の歴史学者による歴史学の本であり,
日本の植民地支配を礼賛する性質のものではない.
また,このような学術書からそうした解釈を引き出すのは
客観的な歴史学書を志した著者としても不本意だろうと思う.
この本に価値があるのは,豊富な歴史資料を解きほぐしたこと.
植民地時代の朝鮮を研究するにあたっては日本語と韓国語の読解能力が不可欠だが,
両方の言語を巧みに操り,かつその解釈を英語で発表したのは数えるほどしかいなかった.
したがってこの分野の研究は日本人と韓国人に限られてきたわけで,
自ずと歴史の解釈に民族色が出る.
「植民地朝鮮の払込資本のうち,朝鮮所有のものは10%に過ぎず,日本帝国主義による搾取の現れである」
という伝統的な解釈に対し,
「その10%に着目してみるのも意味があるのではないか」
という第三者としての米国人なりの解釈を提示.
ある紡績会社が置かれていた社会背景や政治的な状況がよく分かる.
もちろん,京城紡績という事例が朝鮮人資本家による数少ない成功例の一つであることを鑑みれば,
この本を手に取り当時の朝鮮半島の経済状況を一般化するのはできないだろう.(106人中、49人の方が「このレビューは参考になった」と投票しています。)
評価:
流動資本のないところに商業は芽吹かない
第三者から見れば、当然こうなるという話を書いているだけですが、韓国内ではわずかな抄訳が出回っているだけであるといいます。その理由は、いつものアレですが。
まず、萌芽説(李氏朝鮮時代にすでに商業の芽生えがあったとする説。韓国ではまことしやかに語られている)を完膚なきまでに叩き潰してしまっています。イザベラ・バードなどによる李氏朝鮮時代の記述を見れば当然のことなのですが。
また、朝鮮時代の朝鮮人地主(のちの京紡創設者)による水呑み百姓への苛烈な搾取が語られてもいます。
こういった過去の状況を、併合時代へ投影してしまっているのが韓国の現状であるというのがよくわかります。
ただ、筆者は経済学者であるために、独立運動などの政治的な話題に関してはかなりチープな考察しかできていませんので、その点は割り引く必要があるかもしれません。
しかし、韓国人・朝鮮人っていうのは三国史記・日本書紀の時代からやっていることが変わらないのですねぇ。
機械の購入資金を先物取引ですっちゃって着の身着のままで帰るって……。
現代であってすら何もしないでタバコを吸っている人間が尊敬される風土で、儒教の勤勉に向学精神ねぇ(笑)。(190人中、163人の方が「このレビューは参考になった」と投票しています。)
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